過ぎたるは猶及ばざるがごとし

昨日、雨で自転車にも乗れず、体重測定をしてみたら食っちゃ寝の成果(?)も余す所無く発揮されていた。下衆の後知恵と言うか、青くなって踏み台昇降をいつもよりも頑張ってみた。それなりの結果は出せたと思うのだが水飲んだら元に戻ってしまい、一層落ち込んだがそれはそれとして、多少感覚を空けたとはいえ、一時間枠ドラマを四本半程の時間やったのは明らかに「やりすぎ」であった。正直反省している。
しかし時既に遅しで、朝起きると下半身に妙な違和感があり、時間経過と共にそれが酷くなる。歩行や自転車走行はそれなりにこなせるが客観的に見ると物凄く無様である。
この痛みが明日の理想の身体に近づくのだ、と言う思いで少しは慰められるが「どれだけ鈍ってるのか」「これだけやっても目に見える成果がないのか」と自分が自分を責めている。
結局の所、節制を怠った自分の罪なのは明らかなのだが、夏休み最終日の小学生じゃあるまいし、「帳尻合わせ」をしようとした自らの器の小ささにも腹が立つ。
どうにか今日も自転車と踏み台をこなした事で折り合いをつけたが、どちらも出来なければどれだけやっても意味は無く、元の木阿弥と言うかそれ以下だ。このような無様を晒さぬように、自らの分を弁え、こつこつとやるように精神を改めねばならない。
…それにしても痛い。