敗北あるいは戦略的撤退宣言?

今年は「少しポジティブに生きてみよう」と決めていました。しかし、1/2のタイヤパンク事件ですっころんでから、「やっぱり無理?」と思いつつ、今日まで生きてきました。
今日、ある人に叱咤されました。それはそれで有り難い事だなあ、と思いつつ、そのことで敢えて忘れよう、見なかった事にしよう、と封印していた事が意識の表層に浮かび上がってきたのは何かの因果か。
今の私はどん底です。昇格昇給の見込みは最早無く、良くて現状維持、見える先から喉元に突きつけられた刃には「降格降給」という文字が墨痕鮮やかです。分かり易く言えばどんなに頑張っても無駄無駄無駄ぁ ということです。果実は才能や努力の果てに得られるものではなく、全く別の要因に依るものであると気づいたのは遥かに過ぎ去りし幾星霜。実際、一度の失敗に際して「もう次はないよね」と自嘲しつつも、一縷の望みを抱いてはいたのですが、釈尊カンダタの前に下された蜘蛛の糸は視えないほど細く、気が付くとなくなっていました。それでもバカなので、自分なりに頑張ろう、とかは思っていたのです。しかし得られたものは「視野が狭い」「お前は何もやってない」「このままだとお前はいらねー」を始めとする罵声。ここ2〜3年はこれらを意識的に封印していました。相当の努力を要しました。
しかしてそれが破られた時、「頑張ろう。でなければこれより先はないし、周りにも迷惑が…」という私を支える最後の柱は崩れ去り、私を覆っていたヴェールは風に飛ばされ「私はこれまで何のために…」という虚無感が世界を支配していた事を思い出しました。
となると最早モチベーションの維持すら困難となり、はっきり言えば自分の居るべき場所すら見失っていました。他人がどうとかこうとかより、自分が「取るに足らない」「役立たず」で埃以外に積みあがったものだけを利用される「使い捨て」の「便利屋」である事実が重くのしかかります。そもそも才能なんてないし、もう老朽化した知識やスキルでは今後他人様の役には立てない。ということはもう「存在意義はない」ということか…とまあ、ほっとくと際限なく「沈む」ので社会人の端くれとしてはこのままじゃまずい、ということでなんとか現実社会に留まるように努力開始。
…激しい努力の結果、なんとか持ち直しました。これからは私のやるべき事を出来る範囲でやることで脳内妥協。もう、私のやったことが他人の業績として強奪される「お手伝い」等は出来るだけ避けて私の仕事だけやる!という方向でなんとか私の中の脳内議会が議決されました。もうねえ、いくらバカでもこれ以上バカにされたらやってられませんよ…世の中には家庭に癒しを求める方々もおられるようですが、私に関してはどう考えてももう結婚はおろか異性との交際もできそうもないですしねえ …癒しもないからこれ以上自分を傷つけないようにしなければ。結構もう限界です。