サイクリング(2)

途中、外人さんと日本人(多分)と思われる二人と神社への参道ですれ違い、「コンニチワ」と日本語で声かけられて気持ちよく挨拶しながら、「ああ、外人さんは日本風の神社とかが珍しくて行って見ているのだなあ」と思って感心しつつ更に先に進み、ようやく目的の神社を前にした所でその二人に再会…って、さっきは下ってたのに何故!?と思ったら一回下って車でまた上がって行ったようです。外人さんが私が先程すれ違った物好きだと気づいたのか声を掛けて来て、正直かなり焦りましたが相手は日本語だったのでまあコミュニケートとれました。で、その人、キリスト教の宣教師だか普及員の仕事をしている人だそうで、よくわからないのですが「聖書」をくれました。呆気にとられて、「えーっと、『あなたからこれをいただく理由はないのです。私は聖書を既に持っているのですから』というのは"I have no reason to get this from you. I already have THE HOLY BIBLE."でいいんだっけ?」とか考えてたらもう既に彼らは去って行っていました。
そもそも相手は一応日本語話してた訳だし日本語で言えば良いのについ英語で…とか思ってしまうのは相手が完全に外人だったので「外人=英語」と刷り込まれている日本人の気質の問題と、上の様な文章がさらっと出ない教育の問題だよなあ…やっぱり英語くらい出来ないと自信がもてないのですね。もう少しがんばろう。
それはそれとして、いくら「イエスは生きている神様です」と言うのが教義でも、話していたのは神社の鳥居の前であり、いくらなんでもなあ、と思ったのは私だけでしょうか。キリスト教徒の人にとっては神社や仏閣に居ます存在は「神」じゃないからいいのかな?敢えて悪くとる必要はないのですがちょっと気になりました。まあ私も物凄い不信心者なので真面目な宗教者に何か言う資格はないか。と言うか凄い信仰のある人だったらきっぱりと断るか宗教論争が始まるのかな?